不便を楽しむ

僕は敢えて不便な生活をしています。

…と言うより、不便なことを意識的に生活の中に入れるようにしています。

それは便利なもので生活が良くなる一方で、生きる力が衰えていくと感じているからです。

相変わらず極端な僕ですが、生活に不便を意識的に入れることで生きる力がパワーアップする。

そんなお話です。

 

便利があふれている

人類は文明の発達とともに、常に利便性を追求してきました。

もちろん僕もその文明の発達の恩恵にあやかり、快適な生活を送らせてもらっています。

スマホは必要な情報をすぐに探すことができます。動画も見れるし、人との交流もSNSなどを通じて、より速く、深く繋がれるようになりました。

買い物だって、ネットでポチッとすれば翌日に商品が届きます。

トイレのふたも自分で開けなくても、自動で開くようになりました。(必要?この機能必要?)

ただ、利便性と快適さを手に入れた一方で、生きるために必要な力が衰えているようにも感じます。

僕が考える生きるために必要な力とは、「自己完結できる力」「何にも依存しない力」だと思っています。

「自己完結できる力。」「何にも依存しない力。」

今、お風呂に入ろうと思えば、ボタンを一つ押せば快適な温度で、10分もしないうちに入れます。

お腹がすけば近所のコンビニに行けば、おいしいものが買えます。

蛇口をひねれば水が出るし、コンロのボタンを押せば簡単に火がつきます。

この快適さにどっぷりつかってしまった今、すべてが当たり前となり、その当たり前の基準が年々上がっているのが実感としてあります。

少し前にはなかったものが当たり前になってしまい、より快適なものが出てくるとまた当たり前になる。

10年前の当り前と現在の当り前は随分と基準が上がったように思います。

この利便性のおかげで、僕らの生活の質は上がり、時間は短縮され、その時間を有効に使うことができている。

これはすごく大切な事で、特に時間を有効に使えることに関しては、僕も利便性の向上にあやかっています。

ただ、この利便性を手放した時、僕は生きて行けるのか?

ときどき、すごく不安になることがあります。

これがなかったらどうしよう。あれがなかったらなにもできない。

利便性を追求するあまり、僕たちは「自己完結できる力」と「何にも依存しない力」を失っているように感じます。

「自己完結できる力」とは、言い換えれば自分でやりぬく力、生き抜く力の事です。

「何にも依存しない力」とは、何かが無くなってしまうとお手上げになってしまうのではなく、別の何かで補完できる力の事です。

例えば、災害時に電気が止まった時や、水道が止まった時。

僕たちは自分の無力さとたくさんの物に依存していたことをまざまざと思い知らされます。

どんな状況に置かれても、僕は家族や大切な人を守る責任があります。

その時に何もできない、おろおろする自分を想像するだけで、恐ろしいし、むかつきます。

そして、それは子どもたちにも言えることで、電気がつかないことや水が出ないことで、うろたえてしまってはいけません。

災害に限らず、今ある利便性と快適さを手放しても生きて行けるのかを僕は常に意識して、普段の生活と向き合うようにしています。

 

不便を楽しむ

とはいえ、僕も現在の快適な生活にどっぷりつかっているので、なかなか自分で意識しないといざという時にうろたえると思います。

そこで僕は生活の中に敢えて不便を入れるようにしています。

ここでは子どもたちの生活に意識的に取り入れている、ちょっとした不便の紹介です。

まずはトイレ。

うちのトイレは外にあり、暗い階段を抜けないとトイレに行けません。

これ、子どもにとってはすごく重要です。

現在の子どもは、暗闇を極端に恐れます。

だって、家の中でも外でも必ずと言っていいほど何かしらの明かりに包まれていますから。

この暗闇と向き合うことは、僕はすごく重要なことだと思っています。

暗闇は心を恐怖で支配し、冷静な判断を著しく奪います。

普段の生活に一切の明かりの無い、暗闇を入れるだけでも、子どもは強くなります。

あと、スマホやゲームなどの無いことで遊ぶ時間を必ず作ること。

あ、僕はスマホやゲームはけしからん!とは思っていません。

スマホやタブレットなどのデジタルにも早い内から、ガンガン触ってほしいと思いますし、ゲームで子どもがおかしくなるとも思っていません。

ただ、それに偏るのが問題なだけで、僕は必ず外遊びとできるだけ道具を使わない遊びの時間を入れるようにしています。

外遊びはやはり、心と体を作る基本だと思います。

ここを深堀すると話の趣旨がずれてしまうので、やめておきます。

何もない所で遊ぶことで、受動的な遊びが能動的になり、少ないものから発想できる力がつきます。

他にもいろいろありますが、こうして意識的に不便を取り入れるだけでも、いざという時の生きる力、サバイバル力が身につきます。

山にこもり、俗世との関わりを一切断ち、仙人のような生活を勧めているわけではありません。(それに近い生活だという事は否定しません…。)

普段の生活にちょっとだけ意識して不便を取り入れてみることをお勧めします。

 

最後に

僕は行き過ぎた便利は不便だと思っています。

利便性が上がれば上がるほど、僕たちは快適な生活を送ることができています。

一方で、人間本来に備わった生きる力と言うか動物的な勘を衰えさせていると思っています。

ただ、すべての利便性を否定しているのではなく、行き過ぎた利便性は生きる力を奪い、いざという時の判断や決断を鈍らせてしまうという事です。

僕には守るべき人、物があります。

それがどんな状況であっても、僕は守り抜かなくてはいけません。

それは子どもたちも同じです。

自らの命を守り、大人になった時に大切な人を守るため。

そのための力を子どもたちにはつけてもらいたい。

それは普段の生活に不便を意識的に取り入れることで、十分身につくと思います。

一緒に不便を楽しみましょう!

 

 

 

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