人それぞれという言葉に逃げない

何か議論をするときに、

「それは、人それぞれだから。」

と言われてしまうと、まったくもってその通りなので、議論は止まります。

時には、そこを乗り越えて議論をしなければならないと思います。

「人それぞれ。」

その言葉に逃げてはいけない。僕はそう思っています。

 

子育て論を語ろう

世にはたくさんの子育て論があります。

各家庭によって、想いや考え方は違っていて、それこそ各家庭それぞれです。

各家庭それぞれなんだから、お互いの子育てに関する価値観を議論しない。

ある意味、達観した考えですが、その先に成長はあるのでしょうか?

僕は常々、子育ては親育てでもあると思っています。

自己成長の無い子育ては、子どもに対して失礼だと思っています。

子育てを通して、親も様々な経験から、考える力や精神力、大人のあるべき姿を見せる事で自己成長をします。

これは僕の考えですから、全く違った考え方もあると思います。

ここで「人それぞれ」という言葉に逃げず、恥や思い込みを捨てて、親同士で子育て論を熱く語ることは非常に有意義です。

 

批判や他人の評価にビビりすぎ

他人を批判したり、評価することはあまり意味はありません。

ましてや自分の考えを押し付けるなんてことは、子育てにあってはいけないと思います。

でも、何かを発言すれば、それは一定の批判や評価をされることは仕方のないことです。

ただ、僕たちはそこにビビりすぎてはいないでしょうか?

子育てについて熱く語るのは恥ずかしい、自分の子育てへの考えが間違ってるんじゃないか、かっこいいこと言うと口ばかりと思われるんじゃないか。

僕もよく躊躇することはあります。

でも、はっきり言って、人それぞれだからこそ、批判や評価を恐れずに、子育て論を語るべきだと思います。

自分が語ることで、人が語りだすこともあるし、誰かの参考になっていることだってあります。

批判や評価にビビって、子育てを議論できないのは、極端に言うと自己成長から逃げているのと一緒だと僕は思います。

 

僕の思う子育て

先ほど言ったように、僕は子育ては親育てだと思っています。

比率で言うと子育て3、親育て7ぐらいに思っています。

僕は子どもをどう育てていくかより、自己成長にどうつなげていくかに重きを置いています。

だから、子育て中の失敗に対して、自責の念や子どもに申し訳ないと思うことはありません。

成長に失敗はつきものだし、失敗のない成長法なんかないと思っているからです。

これでいいのかな?自分の子育ては正しいのかな?

そんなこと考えません。

そもそも、誰だって子育ては初めてやることで、日々の手探りの状態から自分に合ったやり方を改善し、確立していくものです。

僕はわが子に対して、自分の子どもとあまり思わず、一人の人間という意識の方を強く持つようにしています。

共に成長していく仲間のような感覚です。

例えるなら、漫画ワンピースのように同じ船に乗って冒険をするストーリーを共に描いている感覚です。

親には親の人生がある

僕は子育ての時に絶対に言わない思わない考え方があります。

「家族のために。」

これは言わないし、思いません。

正確には家族の生活のために自分のやりたいことを捨てて、自己犠牲のもとに成り立っている家庭を築きたくありません。

疲れ果てた親の姿、身を粉にして働く親の姿。

僕はそんな親にだけはならないと強く決心しています。

だからこそ、子育て論を語り、知恵を絞り、自分のやりたいことの中で子育てをする方法を考えまくっています。

僕には僕の人生があるので、それを実現させるためのクルーの一員が子どもであるだけです。

 

子育てを人生の目的にしない

僕は僕で実現したいことがあるので、子どもに何も期待していません。

ちょっと語弊があると思いますが、親の期待はときに子どもにとってはプレッシャーになるからです。

期待はしていませんが、信頼はしています。

子どもがどんな人生を選択しても幸せになれるための考え方や在り方は見せて行こうと思っています。

だから、子どもはかわいいですが、僕の人生を捧げるつもりはありません。

子育ては僕自身を成長させるもので、子どもは共に成長していく仲間です。

お互いに自分の人生を豊かにするために、協力し合う存在です。

僕はこの距離感と考え方をすごく大切にしています。

 

ごちゃまぜの子育てをする

僕は人生を豊かにするための一つとして、子どもの時にはごちゃごちゃした環境にいることが大切だと思います。

もちろん、最低限の条件は夫婦が仲良しでいることです。

もう極端に言えば、どんな生活環境でも夫婦が仲良しでいれば他に何もいらないとさえ思います。

逆にどんなに安定した生活環境であっても、夫婦仲が悪ければすべておじゃんです。

ましてや、夫婦仲が悪いのに「子どものために一緒にいる。」なんて理由を言われるのなんて、子どもからすれば真っ平御免です。

それぞれの道を歩んでもらった方が子どもは安心です。

ちょっと話がずれましたが、夫婦仲が良いことを最低条件として、ごちゃごちゃな感じにする。

ごちゃごちゃってなんやねん。という感じですが、とにかく良い意味でカオスな状態にすることです。

感性ビンビンの子どもの内に穏やかな日々を過ごさせるのではなく、刺激的な日々を過ごすことです。

僕はこのごちゃごちゃな状態を作る一環として、血縁関係のない子どもをわが子として迎え入れようと考えています。

いや、もう迎え入れる準備をしています。

まあ、小さくまとまんなよ。

という事です。

 

価値観を押し付けるのではなく価値観の在り方を見せる

親の持つ価値観があります。

子どもは親の価値観の中で、様々なものを与えられ、育っていきます。

僕もついやってしまうのですが、正しいことを正しいと言ってしまうことです。

時に正しさを伝えることは大切ですが、説くことにあまり意味はないと思っています。

それよりも自分が思う価値観を実際に日々の生活の中で、行動、実現することが一番子どもに伝わると思います。

ようは在り方を見せる事に全力を傾ければ、子どもに正しい価値観は備わってていくと思います。

ここで言う正しい価値観とは、子どもが自分のものとして持つ価値観の事です。

価値観の中身は別に何でもいいのですが、「これが自分の価値観だ。」と想い、語れる価値観を持ってくれてればいいです。

 

最後に

ここまで自分の子育てに関する考えをつらつらと書いてきました。

これは僕自身の考えなので、人に押し付ける気も評価してもらう気もさらさらありません。

ただ、こうやって何かを語ることで自分の頭が整理され、発信することで、誰かの参考や議論のきっかけになる。

何かを語りだすとき、特に子育てに置いては「人それぞれだから。」という言葉に逃げがちです。

その通り。その通りなんですが、その一言で、僕は議論が深まらなかったり、思考停止になることが一番もったいないことだと思います。

他人を批判したり、評価することに意味はありませんが、逆にそれを恐れるのも、また同義だと思います。

子育てが親育てであるなら、僕たち親は自己成長を止めてはいけません。

子どもに期待するのも良いと思いますが、もっと自分に期待することを大切にして良いと思います。

だからこそ、自分の考えや価値観を大いに語り、議論を深めていくことは大切なことだと思います。

 

 

 

 

 

 

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