人を尊敬しても崇拝はしない

僕は尊敬している人がたくさんいます。

極端に言うと、子どもでも大人でも、ほとんどの人を尊敬しています。

ただ、絶対に特定の誰かを「崇拝」はしません。

もちろん、生き方の指針となる人はいますが、熱狂的になったり、その人の言うことがすべてだと思わないようにしています。

誰かを「崇拝」するという事はその誰かに「依存」すること。

その誰かの言う事がすべて正しいと思えてくる。

それは自分で考えることを放棄したのと同じです。

 

僕が尊敬する人

僕には尊敬できる人がたくさんいます。

お世辞でもなんでもないのですが、僕は年齢や性別、立場とかも関係なく、ほとんどの人を尊敬しています。

もっと細かく言えば、自分にできないことができる人は本当に尊敬できます。

子どもであっても、サッカーのリフティングができる子。生き物の事に詳しい子。身体がめっちゃ柔らかい子。

純粋に「すげーな!おい!」と思います。まじリスペクトです。・・・いや、リスペクトって言い方好きじゃないな。心から尊敬します。

他の業種の人のいろんな話を聞くのも好きだし、若者の夢や想いを聞くのも好きです。

「私、特技がないんです。」と言う方もいますが、僕からすると「いや。あなたすごいですよ。」と思える方ばかりです。

素直に受け止める

尊敬はまず、素直さから始まるんだと思います。

その人ができることを純粋に「すご!」と思える素直さがあれば、それは尊敬に変わります。

人間関係を保っていく中で、尊敬の心がなければいつかは離れていきます。

僕は尊敬できる人としかお付き合いできません。

尊敬できない人と一緒にいるのは、僕にとっては苦痛な時間でしかないし、上辺の付き合いというのが嫌いです。

でも、素直に「すご!」と思えることが多いので、ほとんどの方と尊敬を前提としたお付き合いができています。

僕は尊敬し合わなくても大丈夫です。僕が相手に尊敬の心を持っていれば、相手が僕をどう思っていてもあんまり関係ありません。

人を尊敬するという事は素直に受け止める心が大切で、相手を尊敬できれば、相手が自分をどう思っているのかも気にならなくなります。

そうすれば、人間関係の悩みはほとんどなくなります。

 

人を崇拝する怖さ

世にはカリスマと言われる人がたくさんいます。

そして、SNSの発達で、そのカリスマの思考や想いをすぐに聞くことができます。

名のある有名人もツイッターで、自分なりの考えを発信している人が多くなってきました。

僕も何人かは有名な方をフォローしていますが、決して崇拝はしません。

飛びぬけた結果を出した人達なので、言葉には説得力もあるし、影響力もあります。

でも、それをすべて自分に当てはめることはできませんし、納得できないこともあります。

僕はあまりたくさんの有名人はフォローせず、本当に心からすごいと思う人だけフォローしています。

そして、その人たちを僕は崇拝はしません。

崇拝することは、その人が右と言えば右、左と言えば左。つまり、自分の考え=その人の考えとなり、この状態は思考停止と同じです。

また、特定の誰かを崇拝していなくても、有名人だけの言葉を切り取って、自分の考えのように述べているのも同じ状態です。

有名人に限らず、小さなコミュニティーでも、影響力のある人や力のある人だけを持ち上げて、右向け右になるのが僕は恐く感じます。

これは素直さとは逆の考えになるかもしれませんが、人の言葉をうのみにせず、必ず自分の言葉として考え、意味を理解することが大切だと思います。

人を崇拝するあまり、人の考えが自分の考えと思い込んでしまうこと。思考停止になるのが一番怖いことと僕は思っています。

 

自分の軸を持つ

僕が有名人や影響力のある人をフォローする理由は、自分の中の軸を太くするためです。

新しい考えを取り入れることも大切ですが、言葉尻ばかりを追っかけてしまい、軸がブレてしまっては意味がありません。

僕の中では、自分を変えると言うよりも、自分の中の軸を太くするために、有名人や影響力のある人の考えを聞きます。

また、僕の周りにいる尊敬できる人達の考えは、より身近で、僕の思い込みで硬くなった頭に柔らかさを与えてくれます。

軸を太くしながらも硬くならず、柔軟に考える。

そして何より、身近な人の言葉には温度があります。

直接僕に向けてくれる言葉には、多くの人に向けて発されたメッセージよりも、温かさを感じます。

僕はこの人の温かさにどれだけ救われたか分かりません。

僕自身に向けられた言葉には、僕への想いが詰まっているので、どんな言葉でも本当にうれしいです。

だからこそ、僕は人を尊敬はしますが、崇拝はしません。

僕は人との出会いに無駄なことなどない。と思っています。

でも、人との出会いを無駄にするのもしないのも結局は自分次第なのだと思います。

あなたに会えてよかった。

僕は出会った、繋がってくれた人全員にそう言いたいと思っています。

 

最後に

特定の誰かを崇拝するという事は、僕は思考停止と同義。そして、不誠実だと思っています。

自分の考えを持った上で、その人の考えを聞き、そして自分の日常をより良くしていくこと、自分を成長させることが何より大切です。

崇拝する人に認めてもらおう、近づこうとすることは視野を狭くします。

人に憧れを持って、その人のようになりたいと思うことは大切だと思いますが、それは尊敬のもとで成り立つことだと思います。

僕はいつも考えすぎなのかもしれませんが、今繋がってくれる人を大切にしたいです。

その大切さは尊敬のもとで成り立ち、繋がってくれた人全員に「あなたと出会えてよかったです。」と胸を張って言いたいです。

本当に相手を思うなら、崇拝してすべてを鵜のみにするのではなく、尊敬して自己成長につなげることが本当の意味での相手への敬意であり誠実さだと思います。

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