僕の人生を大きく変えた日。そして、誓いを立てた場所。

僕の人生を大きく変えた日。そして、誓いを立てた場所があります。

 

2011年3月11日。

 

僕は当時、熊本の乗馬クラブで働いていました。

阿蘇の大自然の中にあるクラブでは子どもの乗馬キャンプや主に発達障害のある子のホースセラピーなどに関わり、とても充実した日々を過ごしていました。

長男も生まれ、自分の人生に疑問も迷いも全くありませんでした。

その日の3時過ぎ、お客様のレッスンを終えてクラブハウスのテレビをつけると、信じられない光景が目に飛び込んできました。

 

大きな津波が仙台空港を飲み込んでく映像。

いきなり飛び込んできた映像に、最初は何が起こっているのか全く分かりませんでした。

ニュースキャスターはひっきりなしに「津波が来ています。ただちに避難して下さい!」と言っており、パニック状態。

僕はテレビにくぎ付けになり、まず何が起こっているのかを飲み込むのに必死でした。

分かったのは宮城で震度7、東北沿岸で大津波が押し寄せている。

それだけでした。

 

時間がたつにつれて徐々に分かってくる被害の状況。

ただ、被害が広域すぎて、全容は全く分からない。

僕はただただテレビの前で状況を見守るしかありませんでした。

 

東日本大震災

2018年3月9日時点 死者 15895人、行方不明 2539人

 

この大災害を前にして、自然の驚異と自分自身の無力さを痛感させられました。

僕はなぜ生きているのか?たまたま熊本にいただけだ。僕に何ができるのか?

 

この震災をきっかけに僕は自分の人生について深く考えるようになりました。

毎日、毎日、毎日…。

そして、出した答えは「馬と共に子どもたちを幸せにすること。」

自分の力で夢を叶える場所を作り出すこと。

子どもたちの為に残りの人生すべてをかけることを決意しました。

 

そして、この震災で僕の中に大きく刻まれた2つの出来事があります。

大川小学校で起こったこと。

日和幼稚園のバスで起こったこと。

この2つの出来事が今でも大人としての責任を考える上で、大きく影響しています。

 

大川小学校で何が起こったのか?

https://matome.naver.jp/odai/2148011385631496401

日和幼稚園のバスで起こったこととは?

https://www.sankei.com/affairs/news/170906/afr1709060005-n1.html

 

どちらも子どもが犠牲になった出来事。

このブログで事の真相について、何かを語るつもりはありません。

真相は解明されていませんが、少なくとも大人の責任のもとで起こったこと。

大人が守るべき命を苦しめ、失ってしまったこと。

この二つは間違いのないことです。

 

はたしてこのことを対岸の火事として捉えていいのか?

1000年に一度の大災害だから、仕方がないと捉えるのか?

子どもの命を守るのは大人全員の責任であり、義務です。

そこにわが子であるとかないとかは一切関係ありません。

 

ただ、犠牲になった子どもたちがどんな苦しい思いをしたのか…。

想像することすらできません。

 

僕はこのことを深く胸に刻み、今の仕事に向き合っていますが、どうしても現場に行って誓いを立てたいと思いました。

 

昨年の4月。私は一人で仙台空港行きの飛行機に乗っていました。

 

目的地は大川小学校跡地。

 

仙台空港からレンタカーで大川小学校跡地へと向かいました。

道中はだいぶ復興が進んでいるように見えましたが、仮設住宅も点在し、高台工事も真っ最中でした。

仙台空港から30分ほどで現地に到着しました。

その日は4月とは思えないほどの陽気であたたかい日差しが降り注ぎ、暑いくらいでした。

車から降り、校舎へと進んでいくと、そこには鉄筋がむき出しになった小学校とは思えない無機質な建物がありました。

渡り廊下だった部分は津波で捻じ曲げられ、ありえない姿になっていました。

ただ、校舎の壁に描かれた卒業生の絵だけは色鮮やかなままで残っていました。

校庭だった場所には慰霊碑が立てられ、犠牲になられた方々のお名前が刻んでありました。

近くを流れる北上川はただ穏やかにゆっくりと流れていました。

僕は2時間ほど校舎の周りを回ったり、亡くなった生徒が多く見つかった場所で手を合わせたりと震災から7年経った学校の跡で様々な想いが心の中を巡っていました。

 

その校舎からおよそ200メートル先の三角地にきれいな花壇があります。

 

その花壇は亡くなった生徒さんたちの親御さんが管理されていて、夏にはきれいなひまわりが咲くそうです。

僕はカメラを握りしめていましたが、一度もシャッターを切ることはありませんでした。

写真を撮ることはできませんでした。

ここで多くの命が失われたとは思えないほどに穏やかな日差しが降り注ぎ、川はそよそよと流れていました。

 

この大川小学校での出来事から生まれた絵本があります。

「ひまわりのおか」

内容は割愛させていただきますが、亡くなった子どもたちのこと、子を想う親の気持ちが込められています。

本の最後には亡くなった子どもたちへ親御さんたちがつづった手紙が書いてあります。

もしわが身に同じことが起こったら、僕は何を想い、どんなことをしたのだろうか。

今の自分のすべきことを深く考えさせてくれる絵本です。

 

実はこの大川上学校へ行く前の日、少し不思議なことが起きました。

僕はこの絵本を買って、一回だけしか息子に読んだことはありませんでした。

一回読んだあとは本棚のはじの方にしまっておいたのですが、息子が読んでほしいと持ってきたのです。

この時、僕は息子に大川小学校へ行くことは伝えていませんでした。

なぜ一度しか読んだことのないこの絵本を息子は持ってきたのか。

ただの偶然とは思えず、僕は息子に分かる範囲で東日本大震災のこと、多くの方が無くなったこと、大川小学校で起こったことを話しました。

どこまで理解できたかはわかりませんが、息子は絵本の読み聞かせをじっと聞いていました。

 

2011年3月11日。

あの日、雪がちらつく校庭で子どもたちはどんな思いでいたのか。

津波が迫る恐怖と津波にのまれたときの苦しみは想像をはるかに超えたものだったはずです。

そして、現場には行けませんでしたが、同じくあの日、大人を信じてバスに乗り込み、恐怖と寒さの中、懸命な声で助けを呼んだにもかかわらず命を落とした日和幼稚園の園児たち。

 

2017年4月のあたたかい陽が注ぐこの日。

 

僕は誓いました。

 

「あなたたちの死を無駄にはしない。大人の責任を自覚して、このようなことを繰り返さないように生きていく。そして、今いる子どもたちの未来が笑顔であふれるよう、毎日を全力で生きていく。」

 

僕の仕事は「子どもたちを幸せにすること。」

僕たち残された者のすべきことは、それぞれ違っていても、犠牲になった小さな命を無駄にしないよう、毎日を全力で生きていきたい。

自分に与えられたことを全うし、生きたかった小さな命を胸に毎日を丁寧に生きていく。

それが生かされた者ができる事だと強く信じています。

 

 

 

 

 

 

 

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