手のやさしさ

馬のトレーニングを行う際に、私が一番最初に行うのは「手」のやさしさを伝えることです。

「手」は人だけに与えられたもの。

猿やチンパンジーも手を使いますが、基本4足歩行で、前足が手のような役割をすると言った方が近いかもしれません。

4足歩行の動物にとって、「手」の存在は未知の世界。

この「手」をどのように使っていくかで、その後の馬の成長に大きく影響を与えます。

(ペピーズにはこんなかわいい子馬もおります!)

仔馬を例にとると、仔馬は生まれてしばらくはお母さん馬とのコミュニケーションの中で、様々なことを学びます。

お母さん馬にいたずらをすると、軽くお尻をかまれたり、軽く蹴られたりもします。

そうやっているうちに仔馬は群れの中で生きる基本を学んでいきます。

馬同士のコミュニケーションの学びの中に、もちろん「手」の存在などありません。

「手」は仔馬にとって未知の存在外の何物でもありません。

ただ、「手」は最初の、人と子馬とのコンタクトをとるには最高の武器となります。

「手」のすごさはとにかく繊細で巧みに動くこと。

ほんの数ミリの変化さえ指先から感じ取ることができるくらい、「手」は繊細です。

仔馬に「手」の存在を最初に認識させるには、「手」で、正確には指先で仔馬の体を掻いてあげます。

一番最初は撫でるのではなく、掻くのです。ここが重要です。

「手」を使えない動物にとって。掻いてもらうという行為は最高に気持ちの良いことです。

動物はかゆい時には木などに体をこすりつけたり、砂場でゴロゴロしたりして掻いています。

ただかゆい所をピンポイントで巧みに掻けるのは「手」だけです。

こうして掻くという行為を繰り返しているうちに、仔馬は自然と「手」に興味を持ち、人間を見ると「手」の巧みさに期待して寄って来てくれるようになります。

寄って来てくれるようになったら、初めてやさしくなでるようにして、「手」のやさしさと巧みさを伝えます。

こううして、「手」から興味を持ってもらうことで、仔馬は人への関心が強くなります。

人への興味のある馬は人が好きだということ。

人が好きであるなら、あとのトレーニングは非常にスムーズに進んでいきます。

そして、トレーニング中に暴れたりすることもほとんどありません。

「手」をこのように巧みでやさしく使うことで、仔馬はどんどん人を好きになっていきます。

ただ、「手」は叩くという行為にも使うことができます。

この叩くという行為が4足歩行の動物にとっては、力加減関係なく、非常に恐ろしいものになります。

「手」の存在を知らない動物からすればこんな恐怖は他にはありません。

もちろんお母さんから「手」を使って叩かれたことなどないので、必要以上に怖がります。

特に上からかざすように叩く行為。

動物には御法度です。犬でも猫でも同様です。

馬のトレーニングでやむおえず「手」を使って叱る場合は、上からかざして叩くのではなく、下から払うようにして叱ります。

それはお母さんが下から軽く蹴るような動きを真似します。

叱るという行為は時には必要ですが、感情的にならずに「手」の使い方には細心の注意を払います。

とにかく「手」は巧みでやさしく、心地の良いものだと初期の段階から刷り込んでおきます。

しかし、残念ながら「手」は便利なため、つい強引に使ったり、叩くという行為にも使ってしまうケースがあります。

仔馬の頃からトレーニングを受けている馬なら、生い立ちからすべてを把握しているので、トレーニングは非常にスムーズです。

よくわからいないのは競走転用馬などの途中から乗馬のトレーニングを受ける馬です。

ただ、診断は簡単です。「手」を上に上げてみて、びっくりしたり、過剰に驚く子は残念ながら叩くという行為を学んでしまった子。

逆に顔を寄せてくる子は「手」のやさしさを知っている子です。

どんなに馬にはやさしくトレーニングしています!と言っても、この方法でおおよそどんなトレーニングを受けてきたかは判断できます。

そして「手」から伝わる情報で、馬の性格や心理状態もおおよそ判断できます。

それぐらい「手」というのは人間にとっても馬にとっても大切な存在です。

「手」はすべての生き物の中で人間だけが与えれれたもの。

この「手」の使い方一つで人を信頼し、やさしい馬に成長するのか。人に疑念を持ち、不安定な馬になるのか。

このどちらかが決まると言っても過言ではありません。

これぐらい人の「手」というのは、馬のトレーニングにおいて重要な役割を担っています。

これは子育てにも生かせることで、「手」は子どもをやさしく包み込むように日頃から使っていれば、子どもは親の「手」からたくさんの愛情を感じ取ってくれます。

ただ、「手」を叩いたり振りかざして使っていれば、子どもは親の「手」から不安と恐怖を感じ、愛情を感じ取ることは一切ないでしょう。

 

愛の鞭。

そんなものは存在しません。

「手」はきっと神様が人間だけに与えてくれた、やさしさと愛情を伝えるためのものなんだと思います。

 

・・・ちなみに私には2人の息子がおりますが、しょっちゅうパンチをしあったり、お尻を叩きあったりしています。

いつも一言多くてすみません。

 

 

 

 

 

 

 

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