闘う事を恐れない

僕は争いごとが嫌いです。

好きな人なんていないと思いますが、僕は無駄に争いに発展することが本当に嫌いです。

基本、10のこだわりを持っていたとすれば、9は妥協し、人に譲ります。

ただ、最後の一つは相手がだれであろうと譲りません。

それは、自分の根っこになる部分と言うか信念だったり、大切な人の事だったり、人としての尊厳だったり…。

最後の一つだけは徹底的に戦います、そこで闘うことを恐れていては自分の生き方を否定し、大切な人を守れないからです。

闘うことを恐れない。

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争いごとが嫌い

僕は本当に争いごとが嫌いです。

僕の言う争いごととは、自己主張を貫きたいだけの、人を攻撃するための争いです。

論破。

やたらこの言葉を耳にするようになりましたが、相手を屈服させることに何の意味があるのでしょうか?

もし、その争いが大切なものを守るためのもので、その結果が論破であるならば、正しい論破だと思います。

ただ、むやみやたらに正論をかざし、いかにも自分は正義の味方のふりして、相手を屈服させる。

言葉選ばず言うと、愚か者とはこういうやつのことだと思います。

ましてや、殴り合いなど論外です。

一昨年ほど前、僕の子が通う保育園で、ビデオ撮影の場所取りが原因で、保護者同士が殴り合いに発展する事件がありました。

子どもの前でです。

もうマジでク・・・非常に愚かだと思います。

つまり、自己正当化のための相手への攻撃を目的とした争いは愚かだと思っています。

 

こだわりは持たない方が楽

僕のブログを見て下さっている方は僕は信念が強く、こだわりが強いんじゃないかと思われるかもしれませんが、意外とこだわりは多くありません。

本質の部分や、自分の心の真ん中に置いているものは強いですが、その他はフニャフニャです。

(誰がはぐれメタルやねん。)

全然人に腹も立たないし、気にもなりません。

何なら人からいじられるのが大好物です。もっといじってほしいです。(こいつ、ヤバイやつやな・・・。)

言い換えれば人の目はあまり気になりません。

車もボロボロだし、服も適当。人のうわさ話も無関心だし、おおむね何を言われても気になりません。

そして、人から受けた指摘や提案は素直に受けることができます。

小さなこだわりを持たないと人間関係でも悩まないし、素直に人の話を聞けるから、何事も柔軟に対応できます。

小さなこだわりを持たない。

これは本当にお勧めです。

 

闘うことを恐れない

こだわりの少ない僕ですが、自分の根っこの部分、心に真中に置いてる部分を守るためには徹底的に闘います。

それで孤立することがあっても、絶対に譲りません。

100人中99人が敵にまわっても、そこだけは譲りません。

そこを譲ってまで、組織やコミュニティーに残る意味は無いと思っています。

言い方は悪いかもしれませんが、むしろ、余計な人間関係が整理されて良かったとさえ思えます。

いわゆる同調圧力というのも完全無視です。

前述したとおり、僕はこだわっていることは少なく、大抵の事は妥協できるし、人に譲れます。

この柔軟性は、大抵の問題を解決してくれます・・・というより、問題に発展しません。

心の真ん中に置いておくもの、守るべきものが明確じゃない人ほど小さなこだわりが強く、周りを囲い込もうとします。

そして、自分より立場が弱いとわかると、自論を振りかざし、屈服させて悦に入ります。

結局、そうすることでしか自分の立場を守れないんだと思います。

だって、心の真ん中がきっとすっからかんだから、殻を固めるしか自分を守れないのでしょう。

僕は絶対にそうなりたくないから、常に真ん中に置くものを意識します。

真ん中を意識し、守るべきものを明確にすれば、人に譲ることができ、柔軟に対応ができます。

そして、闘うべきところで闘う覚悟ができているので、理路整然と議論ができます。

そうすることがむしろ、無駄な争いを避け、人を傷つけることはありません。

 

心の真ん中を意識する

先ほども述べたように、心の真ん中、自分の軸を意識することで無駄な争いを避けられます。

そして、闘うべきところで闘うことができます。

そこには強い覚悟も伴うので、孤独すら恐れなくなります。

もし、孤独になることに恐れがあるなら、真ん中に置いているものが違うのかもしれません。

人によってその基準は違うと思いますが、僕にとって真ん中に置くものを決めるとき、それを真ん中に置くことで孤独になっても怖くないという事を基準の一つにしています。

もし、それを守るときに孤独の怖さがちらつくと、絶対にぶれるし、同調圧力に屈します。

孤独を恐れて、心の真ん中を無くしてしまい、一緒にいる人たちは仲間でもなんでもない、ただの集団です。

その集団の中で過ぎていく時間を考えるだけで、僕はぞっとします。

でも、意外と闘う覚悟ができていれば、それだけしっかりと真ん中を意識していれば、争いに発展しません。

 

最後に

僕は争いごとが嫌いです。

でも闘う覚悟はできています。

僕が嫌いな争いごとは、芯の無い自分を正当化するために周りを下げ、弱い誰かを吊し上げて、屈服させる様です。

僕が必要と思う闘いは、自分の心の真ん中に置いているものと大切な人を守るために、孤独になることを恐れない闘いです。

心の真ん中を意識し、何を守るべきかを明確にする。

そうすることで、大抵の事は許せる、譲れる寛容さが生まれ、人に優しくできる。

そして人の話を素直に聞くことができて、柔軟に受け入れることができる。

それは必ず自分を成長させ、人生を豊かにするきっかけになると思います。

闘うことを恐れない。

それは心の真ん中を意識すること。

小さなこだわりを持たずに柔軟に自己成長につなげることは、生きやすさと人生を豊かにすることにつながると思います。

 

 

 

 

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