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児童虐待から子どもを守るには

先日、千葉県野田市で起きた、小学4年生の虐待死事件。

父親の日常的な暴力のことや児童相談所(以下 児相)や学校、教育委員会の対応について、報道がされています。

父親への厳罰や、児相と学校、教育委員会への批判の声が大きくなっていますが、感情は一旦置いて、僕たち大人にできることは何なのかを冷静に考えたいと思います。

児童虐待とは何か?

児童虐待という言葉が独り歩きしていますが、虐待には以下の定義があります。

① 身体的虐待

その名の通り、殴る、蹴る、投げ落とす、やけどを負わすなど。

② 心理的虐待

汚い言葉を浴びせる、兄弟間で差別する、子どもの前で家族に暴力をふるうなど。

③ ネグレクト(育児放棄)

十分な食事を与えない、家に閉じ込める、病気になっても病院に連れて行かないなど。

④ 性的虐待

性的行為の強要、性的行為を見せるなど。

大きくこの4つに分けられます。

児童虐待の現状

児童虐待に関する児相に寄せられる相談件数は年々増え、昨年では13万件を超えるとも言われています。

そして、虐待により命を落とす子どもの割合は圧倒的に0歳以下が多く、60%近く。

また、加害者となる親の割合は実母が60%近く。

つまり、児童虐待の多くは生まれてすぐに子どもを遺棄してしまうケースが圧倒的に多いんです。

児相に寄せられる相談件数で最も多いのが、心理的虐待に関して。

次いで、身体的虐待とネグレクトが同じ割合ぐらいです。

性的虐待に関しては、見えにくい部分が多く、本人からの相談もハードルが高いことから、実数がどこまで反映されているかは正直分かりません。

児童相談所の役割と現状

児相は主に子育てに関する相談や、障がいのある子へのサポート、児童の一時保護などが主な仕事内容です。

子育て全般の相談を受けながら、児童の一時保護などもになっているのが児相です。

一時保護される児童は虐待のケースだけでなく、親が病気になったり、事故で亡くなったり、親が逮捕されてしまった場合など様々な事情があります。

児相で主に働いているのは児童心理士や児童福祉司の方たち。

どうしてもテレビやドラマの影響で、お堅いイメージがありますが、現場で働いている方には若い方も多く、明るい雰囲気です。(僕は三重の方たちしか知りませんが。)

平日は膨大な数の相談件数に対応し、土日は里親の研修や施設研修など、かなり多忙な日々を過ごされています。

はっきり言って、児相の職員の方は精力的に動いていますし、子どもたちの為に身を粉にしながら働いています。

支援と保護(介入)。そして啓発活動。

昨今では、過去の虐待事件の教訓から、児相内でも支援と保護(介入)を分けて対応する所も出来てきているそうです。

もちろん、まだまだ問題はあるのでしょうが、児相も手をこまねいているわけではありません。

養育里親という選択

僕は一昨年、三重県の里親制度を利用し、養育里親に登録しました。

5日間ほどの研修で登録できるのですが、「里親」に対しての理解がまだまだ進んいでいないように感じます。

里親には4つの種類があります。

※ すごくざっくりとした説明です!

① 養育里親

要保護児童を一時的に養育する里親。養育里親は養子縁組を目的としません。あくまでも親権は要保護児童の親にあり、事情に応じて、

短ければ数日。長ければ数年の間、一時的に親に代わって養育を行う里親のことです。

② 専門里親

虐待を受けたり、要保護児童に障がいがあったり、一定の専門性を必要とする児童を養育する里親です。

養育里親として3年以上の経験や専門的な研修が必要です。

③ 養子縁組里親

保護者のいない子どもや養育困難で親権を放棄するのが明確な場合の養子縁組を前提とした里親です。

児童が6歳未満の場合は特別養子縁組制度により、裁判所の判断で、実子としての入籍が可能です。

ただ、かなりの手続きを踏まなければなりません。

④ 親族里親

3親等以内の親族の親が死亡、行方不明などで養育ができない場合の里親のことです。

 

僕が登録した養育里親とは、簡単に言えば、一時的に親元で暮らせない子を、短期間養育する里親です。

よく、里親で誤解されがちなのが、預かった子どもを一生世話しなきゃいけないとか、里親に登録したとたんに子どもを迎え入れなきゃいけないと言う誤解です。

全然そんなことはなくて、その時の家庭状況に応じて、預かれないこともありますし、タイミングの問題もあります。住んでる地域によっても違うので、養育里親としての役割は様々です。

また、地域によっては里親に登録していなくてもできるホームステイ制度等もあります。児童養護施設での学習支援ボランティアなども募集しているところもあるので、興味のある方はお住まいの地域の児童相談所へお尋ねください。

里親研修は楽しい

これ、誤解されてしまいますが、里親の研修は決して、重々しく、難しいことをするわけではありません。

あまり内容は詳しく話せませんが、里子に限らず、子育てに必要な知識を学べたり、実際に里親をされている人の話など聞けたり、グループディスカッションをしたりと楽しい雰囲気の中で研修が進みます。

里子を預かる際に、一番の壁が、里子がする「ためし行動」。

里子は新たな環境、世話をしてくれるであろう大人を前にして、最初は問題なく過ごしていても、徐々に本来の姿を見せ始め、大人の愛情を試しに来る。

わざとご飯をこぼしたり、スーパーの買い物の際にカゴにありったけのお菓子を詰めてきたりなどなど・・・。

この行動が里親をかなり疲弊させるようですが、やはり親元を離れる事情のある子は親の愛情が足りないケースが多いので、大小あれど、必ず行う行動のようです。

そして、僕にとって貴重な体験になったのが、施設実習。

某養護施設で、2日間、子どもたちと寝かしつけの時間までを一緒に過ごすのですが、とても楽しかった。そして、勉強になった。

何が?…が言えないのが苦しいのですが、施設の工夫と子どもたちとの関わりはとても貴重な体験となりました。

養育里親の現状

全国に12,000人近くいる養育里親。

ただ、実際に里子の委託率は全国平均わずか15%弱。

なぜこんなに委託率が低いのか?

理由は様々ありますが、日本では「親権」が非常に強く、里親への委託には実親の同意が必要です。

施設には預けるが、里親だけは無理だ。という親が多いのが現状です。

これがかなりの障壁になっているのは間違いなく、一時保護に置いても、うまく保護できないのはこのためとも言われています。

あとは、実際に里親登録していても一時休止されている方もいたり、マッチングがうまくいかなかったりするのも委託率を下げている原因と言われています。

僕が養育里親を選択した理由

僕は普段、子どもたちに乗馬のレッスンをしています。

日々の子どもたちの関わりの中で、僕はいつも子どもたちから幸せをもらっています。

そして僕のミッションは「子どもたちをしわせにすること。」です。

僕は子どもたちのおかげで生きているし、様々なことに挑戦できています。

子どもたちと関わることを生業としながら、苦しむ子どもたちがいる現状に目を背けることはできない。

僕がこの世で一番不幸だと思うことは「愛されるべきものに、愛されない。」ことだと思います。

ましてや、愛されないどころか暴力を受け、命を落とすなんて、絶対にあってはならないことだと思います。

だから、児童虐待に魂で立ち向かうことを決意し、その一歩目として、養育里親を選択しました。

それぞれにできることを

僕は養育里親という道を選択しましたが、子どもへの関わり方は人それぞれだと思います。

虐待のニュースを聞くたびに、心痛め、眠れない日々を過ごす。

自分の無力さを責めるが、焦ってはいけないと言い聞かす。

きっと僕と同じような想いを持った方はたくさんいると思います。

みんな、心を痛めて、自分にできることはないのかと自問自答をしていると思います。

みんな、やさしい。

だから、まずはできることから始めればいいのかなと思います。

児童虐待について調べる、隣の子に声を掛けてみる、地域のイベントに参加する、道路の見守りをする、PTAに入る。

人それぞれ、問題意識を持って、小さな行動から始めることが、大きな力になると心からそう思います。

最後に

児童虐待は絶対に許されない問題です。

ただ、漠然と虐待に立ち向かうのではなく、問題の本質に向き合うことです。

虐待という言葉ですべてを括っているのにも違和感があります。

子どもを少し叩いたら虐待なのか?大きな声で叱ったら虐待なのか?

この虐待という言葉で、苦しんでいる親がいることにも目をそらしてはいけません。

悪親から子を引き離す。

これに目が行きがちですが、親子で苦しんでいる家庭が多くあります。

親が虐待を受けていて、子どもに虐待をしてしまうケースだって少なくありません。

親も含めた、包括的な理解と支援が必要とも感じています。

また、今回の千葉県野田市の虐待事件のように、ひっ迫している状況の子どもを守れていないのも、現状です。

これは子どもを守る仕組みそのものから、変えていかないとまた同じことを繰り返してしまいます。

個人ではできることに限界があるかもしれません。

そして失った命は2度と帰ってくることはありません。

僕たちにできることは、このような悲劇を2度と繰り返さないように、それぞれができることを精一杯やって、子どもを社会全体で育てていく意識を高めていくことです。

 

子どもは子どもでいてくれるだけで、僕らを社会を幸せにしてくれるんです。

 

子どもは大人が守る。

 

それでだけです。

しなやか忘年会2018に詰まっていたたくさんの想い②

前回までのお話

しなやか忘年会2018前半については ⇒ しなやか忘年会2018に詰まっていたたくさんの想い①

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簡単に振り返ると、しなやか忘年会2018は、懇親会と9人の個性あふれる方々の講演会がセットになった、忘年会らしくない忘年会が四日市のきゅうり農家「しなやん」によって開かれましたよってお話。

前回は 農家を発信することに情熱を傾けるモンスター大学生、マーケティングコンサルタントを目指すイケメンマッチョ、日本全国飛び回る心優しきエルモ女子、喫茶マスター会社員までを紹介してきました。

いよいよ後半!さらに個性が濃くなり、濃さで言えばカルピスの原液並みになりますので心して読み進めてください!

心優しきナス&コマツナ農家

彼の名はナスケン、そして季節によりコマケンと呼ばれています。

ナスケンは四日市の上海老町で主にナスとコマツナを栽培している「マルホ農園」を営んでいます。

しかし、ただの農家ではなく、野菜をモチーフにした数々のキャラクターを生み出す画家という一面もあることから、自身を農画家と名乗っています。

そんな多彩なナスケンですが、野菜を通して、子どもたちに「食」の大切さを伝えるための食育活動にも力を入れています。

「ナスケン小学校PR作戦」と銘打って、実際に小学校の授業の一環として、食の授業を行っています。

ナスケンは子どもたちの未来への想いが強く、共感する部分がとても多いです。

子どもたちに「食」の大切さはもちろん、農家としての在り方、輝く大人であることの大切さ、そして一人一人個性の違う子どもたちを認めることで幸せな子どもが増える事を野菜を通して、伝えてくれます。

ナスケンほど真っ直ぐで温かい男を僕は他に知りません。

講演会の随所にもナスケンの真っ直ぐさと優しさがじんわりと伝わってきます。

ナスケン講演会

喜び溢れるホエイパスタ大使

彼の名は小柴 大地。

はっきり言わせていただきますが、彼を活字で語るのは不可能です。

出来る限り書きますが、僕の文書力では彼の魅力は伝えきれないです。

大地君は津市にある「よろこば食堂」を経営する「株式会社 喜場~よろこば~」の社長です。

じつは4年前に三重県の商工会青年部が主催する主張発表会で、僕は伊賀代表、大地君は津代表で演者として互いに主張を発表しました。

それ以来、まさか4年越しに同じ場で講演できるなんて・・・感慨深いものがありました。

大地君は東日本大震災のボランティア活動をきっかけに世界を旅することになります。

そしてイタリアで出会ったパスタに感動し、日本に帰り、試行錯誤の上「ホエイパスタ」という独自のパスタを作り上げます。

その後どのように現在に至ったかは、もう講演会を見て下さい。

大地君の話は誰もが魅了され、引き込まれるはずです。

もうね…とにかく見て下さい!

小柴 大地 講演会

僕の名はナッキーです。

多くは語りません。一言だけ言わせていただくと、めちゃくちゃ緊張した。

もう一言。小柴 大地君の後はすごくやりずらかった(笑)

よかったら見てください。10分に想いを込めました。

ナッキー講演会

アフロDJコンサルタント藍染師

彼の名はわいざん。

マーケティングコンサルタントであり、DJであり、藍染師であり、イラストレーターであり、オンラインサロン運営者でもある。

まさにマルチな活動をしている、肩書のない、常識では測れない人物です。

僕もわいざんの運営するオンラインサロンに入っていますが、日々の学びはもちろん、サロン内の方とのつながりや、ワーゲンバスで日本中のサロンメンバーに会いに行くと言う、エンターテイメントを提供してくれます。

わいざんが運営するオンラインサロン

そんな型破りなわいざんですが、常識にとらわれず、日々変わりゆくルールの中で、常識に挑むことを身を持って体現してくれる人です。

言うは易し。

わいざんは実行と行動を持って体現してくれるので、一言一言に説得力があります。

常識破りなのは髪型だけじゃない。生き方そのものが常識破りですが、人に寄り添う真の優しさがわいざんの一番の魅力だと僕は思っています。

わいざん講演会

しなやかな世界のきゅうり農家

そしてトリを飾るのはしなやか忘年会2018の主催者である、しなやん。

しなやんはきゅうり農家です。しかし、ただのきゅうり農家ではありません。

SNSを通して、一本のきゅうりが食卓に届くまでのストーリーを失敗もさらしながら、まっすぐに伝え、多くの人の共感を得ながら180人規模のフェスを開催するという日本一のきゅうり農家です。

そして、しなやんは「世界」へ四日市の上海老町から、きゅうりに限らず農作物を売り出し、ブランド力をつける。

そして、自分の為だけではなく、地域のブランド力全体をあげて地域に恩返しをするという壮大な計画を実行中です。

日本から世界へ。そして世界から日本へ。

一見、無謀とも思えるこの挑戦が、しなやんならやってくれる気しかしないのが、しなやんのすごい所です。

そしていつか、世界に影響力のある100人に選ばれる日が来るのを本気で楽しみにしています。

しなやん講演会

・・・じつは充電切れで途中で切れています。そこもしなやんらしいというか。

でも、この講演会をきっかけにすごいことも起きています。詳しくはしなやんのツイートをご覧ください。

おわりに

しなやか忘年会2018はこうして、熱い9名の想いを間近で聞くことができて本当に良い時間でした。

そしてその9名のうちの一人として、講演をさせてもらえる機会をいただいて、本当に感謝でいっぱいです。

僅か10分の間でしたが、僕の想いをぶつけることができたし、人前で話すことで自分の中で確固たるものになり、そしてそれを見届けてくれる人達がいる。

こんなに幸せなことはありません。

僕がやり遂げたいこと、馬と共に子ども達をしわせにすること。虐待問題に魂で立ち向かうこと。

今立っている場所はまだまだ自分の目指すところではないけど、僕は間違いなく前を見ています。

そして、心に深く刻んだ想いを形にするために2019年はさらに加速していきます。

こうして刺激をもらえる人たちが周りにいることに心から感謝したいです。

最後に、このブログを読んでくださっている方々にお礼を。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

2019年も僕の姿を見届けてください。

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しなやか忘年会2018に詰まっていたたくさんの想い①

しなやか忘年会2018とは?

しなやか忘年会2018は12月19日(水)に四日市で行われた、一風変わった忘年会です。

忘年会と言っても、前半は一般的な、乾杯をしてからの懇親会スタイル。

ただ、後半は参加者の中から数名が各々の想いを語る講演会を行う。

忘年会に講演会?

そんなぶっ飛んだことを考えるのは四日市の上海老町できゅうりを栽培しているきゅうり農家の「しなやん」。

このしなやんのことについて語ると、長編ブログが出来上がってしまうので、ここでは割愛させていただきます。

ただ、しなやんを簡単にまとめると就農2年目のきゅうり農家で、農家なのにフェスを開催したり、飲食やアパレルの経営にも携わり、講演会やSNSのセミナー講師を務めたり、まさに百姓の名にふさわしい、マルチな活動をしている「世界に最も影響を与える農家」を目指す、熱い人です。

しなやか講演会に選ばれし9名

しなやか忘年会で講演会を行うのは9名。持ち時間は一人10分。テーマは自由。

それぞれ個性の違う9名が、それぞれの想いを発表する場。

光栄にも僕ナッキーもその9名のうちの一人に選んでいただきました。

個性豊かな9名を全員紹介したいところですが、ちゃんと紹介するとブログではなく、小冊子レベルになってしまうので、ここでも割愛させていただきます。

本当にざっくり紹介すると、農家を発信することに情熱を傾けるモンスター大学生、マーケティングコンサルタントを目指すイケメンマッチョ、日本全国飛び回る心優しきエルモ女子、喫茶マスター会社員、心優しきナス&コマツナ農家、喜び溢れるホエイパスタ大使、僕、アフロDJコンサルタント藍染師、しなやかな世界のきゅうり農家。以上9名です。 ※すべて私の偏見です。苦情は受け付けませんのであしからず。

このいかにもやばそうな匂いのする9名が行う講演会がいよいよ始まります。

 

農家を発信することに情熱を傾けるモンスター大学生

彼の名はハマモン。

とあることからハマモンスターと呼ばれるようになりますが、そのエピソードも講演会で少しだけ語られています。

ハマモンはなんと21歳の大学3年生。すでに彼は自分のやりたいことを見つけ、それを仕事に繋げるという、21歳らしからぬ立派な考えと行動力を持った学生です。

ハマモンは様々な経験を経て、農業の素晴らしさに目覚め、農業に情熱を傾ける農家たちを発信することを決意します。

ただ、自分自身の性格上、農家さんに話を聞くうえで本音を聞き出せないことに気づきます。

まずは自分としっかり向き合うこと。でも、難しく考えず、溢れ出た感情のままに動くことも大切にしたい。

自分との葛藤と情熱の中で、少しずつ自分の目指すものが形になってきていることを実感している。

ハマモンはかっこいい大人になりたいと言っていましたが、僕から見れば十分かっこいい大人です。

これからますます輝きを増し、真のモンスターを目指してほしいです。

ハマモン講演会

 

マーケティングコンサルタントを目指すイケメンマッチョ

彼の名はマジロ。

過去に引きこもりの経験から円形脱毛症に・・・。

ただ、このままではいけないと立ち上がった彼は好きなことで生きていくことを選びます。

そして、「すくよか」に生きることを人生のモットーとします。ダイエットをきっかけに始めた筋トレが趣味へと変わり、最終的には日課となり、彼はダイエットを通り越して、ムキムキな筋肉マッチョの肉体を手に入れます。・・・最終的にはシュワルツネッガーを目指すそうです。

そして、マジロの大きな夢は「マーケティングコンサルタント」になること。

そんな彼に強い影響を与えた、アフロDJコンサルタント藍染師である、「わいざん」が運営するオンラインサロンがあります。

そのサロンについては後程。

わいざんとは、旅館のコンサルをしつつ、DJであり、藍染師であり、アフロであるという、一言では表せない人物です。

わいざんについても後程。写真だけどうぞ。

このわいざんに憧れて、マーケティングコンサルタントを目指すマジロの目は間違いなく、未来を見据えていました。

マジロ講演会

日本全国飛び回る心優しきエルモ女子

彼女の名はエミリー。

エミリーはとにかく行動的で、好きなことや好きな人に会うために全国を飛び回る、通称:距離感麻痺女子。

ただ、そこには理由があって、エミリーは行動している人を全力で応援したいという強い思いがあります。

人の応援の為なら、仕事のスケジュールの合間を縫ってでも、遠くまで足を延ばします。

そして、初対面で誰でもエミリーのことが好きになる温かな雰囲気をまとっています。

そう、例えるならエルモ。

エルモ嫌いな人なんています?

エミリーはまさにエルモのように周りを温かくしてくれる存在です。

エミリーは行動する人を全力で応援し、また行く先々で出会う人たちを温かくする。そのやさしい口調から、フォロワーとして歩いていく強い決意を感じました。

エミリー講演会

喫茶マスター会社員

彼の名はすみへい。

すみへいは僕と同じ福岡出身。大学は鹿児島の大学に行ったそうですが、仕事の関係で卒業後は四日市市に住むことになったそうです。

すみへいは会社員でありながら、四日市の繁華街で「喫茶すみへい」という深夜にコーヒーを無料で提供する場を作ったり、あとで出てくる心優しきナス&コマツナ農家としなやかな世界に影響を与えるきゅり農家と3人でポッドキャストでラジオを配信したりと、会社員らしからぬことをやっています。

ただ、会社員という立場でも自分の好きを形にすることができる。ということを身を持って体現し、会社員であることを理由になかなか一歩を踏み出せない人たちの、すこし先を行く。

みんなの「補助線」のような存在になりたいというすみへいの決意が伝わってきました。

みんなのグイグイ先を行って、憧れの存在になるより、一歩を踏み出せない人の背中をそっと押せるような存在。

すみへいのあたたかい語り口から、やさしさと力強さを感じました。

すみへい講演会

さあ!後半戦はさらに濃い――――――メンバーが揃っています。

ということで、後半はまた次回!ベンベン!

僕はあの日やらかした…。

人生詰んだと思った瞬間・・・。

今までの人生を走馬灯のように思い出す瞬間・・・。

皆さんはそんな経験をしたことがありますか?

 

2013年1月。

僕は縁あって、今の場所で「こども専門 乗馬クラブ ペピーズ ホース フィールド」を立ち上げることになりました。

(この辺の話はまたいつか。)

今クラブのある場所は伊賀市の高尾という所で、里山に囲まれ、とても自然豊かです。

簡単に言うとスゲー山奥です。

僕はクラブの立ち上げに向けて、荒れ地だった今の場所をせっせと整備していました。

片づけるものも多かったですが、何と言っても自分の背よりも高い萱やススキがあたり一面に覆い茂り、これの草刈りが一番手を焼きました。

手を焼く…。

草を刈っては集め、それを軽トラに積み、近くの畑に捨てに行く。それを延々と繰り返していても、全く終わりが見えてこない…。

僕の体力と気力はどんどんと削られていく一方でした。

そして、その一連の作業を繰り返して2日後・・・。

僕の心の中の悪魔がささやきました。

 

悪魔 (You・・・そんなの燃やしちゃいなよ。)

 

「そ、そうか、せめてこの軽トラに積む作業さえなければ、負担は減るはずだ…。」

僕は悪魔に魂を売ったのです。

そして、今まで軽トラに積んで捨てていた草の山にそっと火を入れました。

「少しづつ燃やせば大丈夫だよね。」

僕はあっという間に燃えていく草を見て、「これは楽だ!」と感動すらしておりました。

しかしその時、思いがけない風がビューッと吹いてきました。

風は火を巻き上げ、まだ刈っていない草の方へ・・・。

パチパチ。

3か所ぐらいから小さな火が起こりました。

「あ、やべ!」

僕は慌てて、バケツに水を汲みに行き、火を消そうと戻った時には…。

 

速きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く

 

僕は何度も燃え盛る火に向かい、バケツの水をかけましたが時すでに遅し…。

辺り一面、火の海と化しました。

燃え盛る炎の中で僕は音のない世界にいました。

まだスタートすらしていないのに…。こんなのってあり?

お父さん、お母さん。あんなに意気揚々と夢を語って、九州を出てきたのに引越し1週間で人生終わりそうです。

 

その時、そばの馬小屋兼自宅の2階にいた妻から

妻:「ちょっと!!!!!大丈夫!!!!」

僕:「大丈夫じゃない!!!!消防車呼んでくれ!!!!」

燃え盛る炎にバケツ1個で立ち向かう僕。

妻が通報して1分もしないうちに遠くから消防車のサイレンの音が。

 

 

火の範囲はどんどんと広がっていき、道を挟んで向こう側は杉林が広がる。

杉林に延焼すれば全国ニュースレベルの山火事になるのは間違いなし。

朝刊には僕の名前が踊り狂うだろう。

僕はまさに火事場のクソ力で近くにあった雨水をためるタンクから水を運び炎に向かってぶっかけました。

通常ではありえないくらいのスピードと運動量で水をかけ続けた結果・・・なんと、火の勢いが収まってきたのです。

そして、とうとう火は勢いを弱め、ほとんど消えてしまいました。

 

時間にして10分ほどだったでしょうか?

 

消防車が到着したころには火はほとんど消え、消防車の力を借りることはありませんでした。

ただ、通報の状況から事態はひっ迫していると判断されたのか、出動した消防車の数は20台近く。

救急車やパトカーも来ていました。

真っ黒になった敷地内で真っ黒になった僕。

まつ毛は無くなり、後ろ髪もチリチリになっていました。

服も焼けコゲ、まるで戦地から生還した兵士のようでした。

 

 

消防隊員「いやーだいぶ燃やしちゃいましたね。」

僕「・・・すみません。本当にすみません。」

消防隊員「これだけの範囲燃やしちゃうと始末書必要ですね。」

僕「・・・すみません。え?始末書?」

消防隊員「はい。後で警察の方が来ますから、指示に従ってください。」

 

あれだけの範囲・・・おそらく、2500㎡は消失させてしまった。(すべて草だけだったが。)

数分もしないうちに警察の方が来られ、僕は生まれて初めて始末書というものを書きました。

 

お巡りさん「~~で、~~~だから、こちらにお名前を」

僕は始末書の書き方を丁寧に教わり、言われるままにペンを走らせた。

お巡りさん「ところでご主人、あなたここで何をされてるんですか?」

僕「ええと・・・子ども向けの乗馬クラブを…。」

お巡りさん「はい?乗馬クラブですか?ここで経営されてるんですか?」

僕「ええと・・・まだオープンする前でして・・・その準備をしている際中にこんなことに・・・。」

お巡りさん「はあ・・・。では、ご主人は今のところ無職ですか?ちなみに乗馬クラブの名前などは決まっておられますか?」

僕「かくかくじかじかで」

お巡りさん「なるほど。わかりました。今回は敷地内だけのことなので、始末書だけですが、延焼した場合は罪になりますので、火の扱いには十分気をつけてください。」

僕「本当に申し訳ありませんでした。」

お巡りさん「あと、この一連のやり取りはすべて報道機関が無線で聞いていますから、明日、新聞にお名前が出るのは覚悟して下さい。」

僕「え?」

 

翌朝の朝刊

『伊賀市高尾で山林火災。1月〇日、伊賀市高尾にある乗馬クラブ ペピーズ ホース フィールド 代表 上迫 直生(30)宅で2500㎡を燃やす火事があり・・・・。』

 

まだオープンしてないのに名前でとるし。

 

朝刊を見て、地元の方がいろんな意味で驚かれたのは言うまでもない。

まだオープンしていない乗馬クラブは、現場を一度見ようと地元の方で大盛況。

おかげで顔と名前を憶えていただけたので、良かったのかなと…。(ひとつも良くない。)

 

今でこそ笑い話ですが、本当に火の怖さを思い知らされたし、人生が終わる瞬間を体感しました。

つまりこのブログでお伝えしたかったのは

「火は恐いよ。」

それだけです。

皆さんも火の扱いにはくれぐれもお気を付け下さい。

 

 

 

僕の人生を大きく変えた日。そして、誓いを立てた場所。

僕の人生を大きく変えた日。そして、誓いを立てた場所があります。

 

2011年3月11日。

 

僕は当時、熊本の乗馬クラブで働いていました。

阿蘇の大自然の中にあるクラブでは子どもの乗馬キャンプや主に発達障害のある子のホースセラピーなどに関わり、とても充実した日々を過ごしていました。

長男も生まれ、自分の人生に疑問も迷いも全くありませんでした。

その日の3時過ぎ、お客様のレッスンを終えてクラブハウスのテレビをつけると、信じられない光景が目に飛び込んできました。

 

大きな津波が仙台空港を飲み込んでく映像。

いきなり飛び込んできた映像に、最初は何が起こっているのか全く分かりませんでした。

ニュースキャスターはひっきりなしに「津波が来ています。ただちに避難して下さい!」と言っており、パニック状態。

僕はテレビにくぎ付けになり、まず何が起こっているのかを飲み込むのに必死でした。

分かったのは宮城で震度7、東北沿岸で大津波が押し寄せている。

それだけでした。

 

時間がたつにつれて徐々に分かってくる被害の状況。

ただ、被害が広域すぎて、全容は全く分からない。

僕はただただテレビの前で状況を見守るしかありませんでした。

 

東日本大震災

2018年3月9日時点 死者 15895人、行方不明 2539人

 

この大災害を前にして、自然の驚異と自分自身の無力さを痛感させられました。

僕はなぜ生きているのか?たまたま熊本にいただけだ。僕に何ができるのか?

 

この震災をきっかけに僕は自分の人生について深く考えるようになりました。

毎日、毎日、毎日…。

そして、出した答えは「馬と共に子どもたちを幸せにすること。」

自分の力で夢を叶える場所を作り出すこと。

子どもたちの為に残りの人生すべてをかけることを決意しました。

 

そして、この震災で僕の中に大きく刻まれた2つの出来事があります。

大川小学校で起こったこと。

日和幼稚園のバスで起こったこと。

この2つの出来事が今でも大人としての責任を考える上で、大きく影響しています。

 

大川小学校で何が起こったのか?

https://matome.naver.jp/odai/2148011385631496401

日和幼稚園のバスで起こったこととは?

https://www.sankei.com/affairs/news/170906/afr1709060005-n1.html

 

どちらも子どもが犠牲になった出来事。

このブログで事の真相について、何かを語るつもりはありません。

真相は解明されていませんが、少なくとも大人の責任のもとで起こったこと。

大人が守るべき命を苦しめ、失ってしまったこと。

この二つは間違いのないことです。

 

はたしてこのことを対岸の火事として捉えていいのか?

1000年に一度の大災害だから、仕方がないと捉えるのか?

子どもの命を守るのは大人全員の責任であり、義務です。

そこにわが子であるとかないとかは一切関係ありません。

 

ただ、犠牲になった子どもたちがどんな苦しい思いをしたのか…。

想像することすらできません。

 

僕はこのことを深く胸に刻み、今の仕事に向き合っていますが、どうしても現場に行って誓いを立てたいと思いました。

 

昨年の4月。私は一人で仙台空港行きの飛行機に乗っていました。

 

目的地は大川小学校跡地。

 

仙台空港からレンタカーで大川小学校跡地へと向かいました。

道中はだいぶ復興が進んでいるように見えましたが、仮設住宅も点在し、高台工事も真っ最中でした。

仙台空港から30分ほどで現地に到着しました。

その日は4月とは思えないほどの陽気であたたかい日差しが降り注ぎ、暑いくらいでした。

車から降り、校舎へと進んでいくと、そこには鉄筋がむき出しになった小学校とは思えない無機質な建物がありました。

渡り廊下だった部分は津波で捻じ曲げられ、ありえない姿になっていました。

ただ、校舎の壁に描かれた卒業生の絵だけは色鮮やかなままで残っていました。

校庭だった場所には慰霊碑が立てられ、犠牲になられた方々のお名前が刻んでありました。

近くを流れる北上川はただ穏やかにゆっくりと流れていました。

僕は2時間ほど校舎の周りを回ったり、亡くなった生徒が多く見つかった場所で手を合わせたりと震災から7年経った学校の跡で様々な想いが心の中を巡っていました。

 

その校舎からおよそ200メートル先の三角地にきれいな花壇があります。

 

その花壇は亡くなった生徒さんたちの親御さんが管理されていて、夏にはきれいなひまわりが咲くそうです。

僕はカメラを握りしめていましたが、一度もシャッターを切ることはありませんでした。

写真を撮ることはできませんでした。

ここで多くの命が失われたとは思えないほどに穏やかな日差しが降り注ぎ、川はそよそよと流れていました。

 

この大川小学校での出来事から生まれた絵本があります。

「ひまわりのおか」

内容は割愛させていただきますが、亡くなった子どもたちのこと、子を想う親の気持ちが込められています。

本の最後には亡くなった子どもたちへ親御さんたちがつづった手紙が書いてあります。

もしわが身に同じことが起こったら、僕は何を想い、どんなことをしたのだろうか。

今の自分のすべきことを深く考えさせてくれる絵本です。

 

実はこの大川上学校へ行く前の日、少し不思議なことが起きました。

僕はこの絵本を買って、一回だけしか息子に読んだことはありませんでした。

一回読んだあとは本棚のはじの方にしまっておいたのですが、息子が読んでほしいと持ってきたのです。

この時、僕は息子に大川小学校へ行くことは伝えていませんでした。

なぜ一度しか読んだことのないこの絵本を息子は持ってきたのか。

ただの偶然とは思えず、僕は息子に分かる範囲で東日本大震災のこと、多くの方が無くなったこと、大川小学校で起こったことを話しました。

どこまで理解できたかはわかりませんが、息子は絵本の読み聞かせをじっと聞いていました。

 

2011年3月11日。

あの日、雪がちらつく校庭で子どもたちはどんな思いでいたのか。

津波が迫る恐怖と津波にのまれたときの苦しみは想像をはるかに超えたものだったはずです。

そして、現場には行けませんでしたが、同じくあの日、大人を信じてバスに乗り込み、恐怖と寒さの中、懸命な声で助けを呼んだにもかかわらず命を落とした日和幼稚園の園児たち。

 

2017年4月のあたたかい陽が注ぐこの日。

 

僕は誓いました。

 

「あなたたちの死を無駄にはしない。大人の責任を自覚して、このようなことを繰り返さないように生きていく。そして、今いる子どもたちの未来が笑顔であふれるよう、毎日を全力で生きていく。」

 

僕の仕事は「子どもたちを幸せにすること。」

僕たち残された者のすべきことは、それぞれ違っていても、犠牲になった小さな命を無駄にしないよう、毎日を全力で生きていきたい。

自分に与えられたことを全うし、生きたかった小さな命を胸に毎日を丁寧に生きていく。

それが生かされた者ができる事だと強く信じています。

 

 

 

 

 

 

 

僕が「神風特攻隊」に教えてもらったこと。それと小さな奇跡と。

このブログは僕が「神風特攻隊」に教えてもらったこと。

そして、僕に起きた小さな奇跡のお話です。

僕の手帳にはこのような一文が貼ってあります。

この手紙は昭和20年5月に戦死された藤井少佐の遺書です。

僕は決して、「神風特攻隊」を礼賛しているわけではありません。

ただ、この手紙を読んで感じるのは、家族を思う気持ちはいつの時代でも同じだということ。

そして、この時代でも子どもには「だっこ」や「ねんね」という言葉を使っていたんだなと、そう思うとただただ胸が熱くなります。

 

僕と「神風特攻隊」を結び付ける、一つの場所があり、一人の方がいました。

 

僕の祖父母の家は鹿児島県の指宿市です。

僕はよく、夏休みを祖父母の家で過ごしました。

そして、祖父によく連れて行ってもらった場所があります。

 

そこは「知覧特攻平和会館」

 

小学生の私にはそこがどのような場所なのかも知る由もなく、ただ零戦の模型見たさに連れて行ってもらいました。

この知覧特攻平和会館がどういった場所なのか詳しく知るのは、中学生以降だったと記憶しています。

 

そして、特攻について深く学ぶきっかけとなった方がいます。

 

それは福岡にある僕の実家の近所に住む一人のおじ様。

このおじ様、数年前にお亡くなりになりましたが、僕が小中学生の頃は、よく犬の散歩をしていて、僕に色々な話をしてくれました。

柴犬を連れ、昔ながらのパイプをくわえた、とてもダンディなおじ様でした。

そのおじ様がよく話してくれたのが特攻の話でした。

 

昭和20年の8月に終戦間際で特攻のため知覧を飛び立ったが、エンジン不調で不時着。そのまま終戦を迎えたこと。

特攻の際、恐くて逃げだす機があればそれを撃墜する係りがいたこと。

無線で聞いた、特攻隊員が死に際に叫ぶのは「天皇陛下万歳」ではなくほとんどが「お母さん」だったこと。

 

そう、このおじ様は「神風特攻隊」の生き残りの方だったのです。

 

柴犬を連れてパイプをくわえたダンディな姿からは想像できないような壮絶な経験をされてきた、すごい方でした。

そのおじ様が特攻へ飛び立った場所が現在の知覧特攻平和会館のある旧知覧飛行場でした。

このおじ様。本当に僕をよくかわいがってくれて、学校帰りにたくさんのお話を僕にしてくれました。

 

話は変わってある日のこと、僕は家族と何気なくテレビを見ていました。

その日はいつも見ていた番組をやっていなかったので、たまたま違うチャンネルの番組を見ていました。

その番組は島田紳助さんが司会を務めていた「バラ色の珍生」(バラ珍と言われてましたね。)という番組で、メインは生き別れした人や初恋の人を番組で探して、奇跡の再会を果たすというもの。

その日、登場したのが70前後の凛とした印象の綺麗なおばあ様。

そのおばあ様はある人を探してほしいと、再現VTRが流れ始めました。

※ 僕の記憶の範囲での番組内容ですので、その辺りはご了承ください。

 

昭和20年某月。知覧町。当時17歳前後だった洋子さん(仮)の実家に突然、10人前後の同じ年ぐらいの男の子がやってきた。

洋子さんの父は洋子さんに「この子たちにおにぎりを握ってあげなさい。」と言った。

戦時中で洋子さんの家のお米も限られている中で、どうして突然来た男の子たちに貴重なご飯を与えなくてはいけないのか。

洋子さんは父の言っている意味が分からない中、言われたとおりにその男の子たちにおにぎりを振舞った。

その男の子たちはその日以来、何度か家に訪ねてきた。

洋子さんの父はその度におにぎりを振舞った。

しびれを切らした洋子さんは父に「何で貴重なお米を、あの子たちに与えなければいけないの?」と尋ねた。

父は一言「いいんだ。あの子たちは特別なんだ。お腹いっぱい食べさせてあげなさい。」

それでも納得は行かなかった洋子さんでしたが、男の子たちと交流をしていく中で、この男の子たちがある作戦を担っていることを知る。

作戦の詳細は教えてくれなかったが、一度出撃すれば二度と帰って来れないことは分かった。

「まだ、私と同じくらいの年なのに…。」

洋子さんはいたたまれない気持ちを抱えて日々を過ごしていく。

そんなある日、洋子さんは体調を崩し、人との接触を禁じられてしまう。当時は不治の病とされた「結核」にかかってしまったのだ。

その日以来、男の子たちは家に来ることが無くなったそうだが、一人の男の子だけ、毎日お見舞いに来てくれた。

ただ、近くには行けないので、部屋と縁側越しに他愛もない話をし、その男のは必ず花を摘んできてくれた。

洋子さんにとってその男の子との時間はとても楽しみな時間となった。

ただ、8月のある日を境にその男の子もぱったりと来なくなってしまった。

不安になった洋子さんは父に「あの男の子たちはどうしたの?」と尋ねると父は「あの子たちはお国のために飛んで行ったよ。」と。

そこで洋子さんの父は「神風特攻隊」のこと、二度とは生きて帰れないことすべてを洋子さんに話した。

洋子さんは「もっとおにぎりをあげればよかった。」「もっとあの男の子と話をすれば良かった。」と後悔の念が噴き出した。

結局男の子の名前を知ることのないまま、終戦を迎える。

 

ここで再現VTRは終わり、カメラはスタジオへと切り替わる。

そこで伸助さんが一言、「ご依頼の内容は何ですか?」

洋子さんが言った一言にスタジオが静まり返る。

「この、毎日お見舞いに来てくれた男の子を探してほしい。」

前代未聞。特攻隊員を探してほしい。

ゲストからも「さすがにそれは…。」とあきらめの表情が。スタジオのお客さんも同じ表情。

 

生きているわけがない。

 

誰も口にはしなかったが、スタジオ中がそういった空気に包まれていた。

 

もちろん、テレビの前の視聴者も大半が同じ思いだったろう。・・・・一人を除いては。

 

僕はこの再現VTRを見ながら思ったことがあった。

(あれ?どこかで聞いたことあるぞこの話。)

 

柴犬連れたパイプのダンディおじ様…。

 

おじ様は本当に特攻に関する話を私にたくさんしてくれた。

その話の中で、「特攻に行く前にとっても良くしてくれた女の人がいてね、まるで女神さまのような人だったよ。」と。

(いやいやまさかそんな奇跡があるわけない…。)

私は心の中で経験したことのないザワザワ感で一杯になった。

そして、紳助さんの口から驚きの調査結果が・・・。

「・・・洋子さん。この方ね。実は・・・。」

 

「生きておられました。」

 

ざわつくスタジオ。洋子さんは顔をくしゃくしゃにして泣いている。

「その方、現在、福岡県にお住まいです。」

(!!!!!!)

私の心臓はもう張り裂けそうでした。

(ウソだ!そんな奇跡が目の前で起ころうとしてるなんて!)

紳助さんは涙をこらえながら

「その方は出撃したんですが、エンジンのトラブルで不時着し、帰還するもそのまま終戦を迎えられました。そしてその方は当時の洋子さんのことをこうおっしゃっておられました。『彼女は私の女神さまでした。』と。」

 

「それではご本人に登場していただきましょう、どうぞ!」

スモークに包まれた扉の向こうから出てきたのは・・・。

 

そう、紛れもなく私に特攻の話をたくさんしてくれたあのダンディなおじ様の姿がそこにありました。

スタジオ中が温かい拍手と涙で包まれました。

 

僕は目の前に起こることすべてに意味があると思っています。

そして、必ずそれは意味を感じる人にしか訪れないとも。

「神風特攻隊」として、命を落とした方たちの多くは10代の若者たち。

冒頭の遺書を書いた藤井少佐は29歳で戦死。

しかも、戦闘機の操縦はできず、教え子だけを死なすわけにはいかないと通信員として特攻機に搭乗し戦死されたそう。

決して、特攻を美化してはいけないと思いますが、先人たちが命を懸けて守ろうとしたこの国で僕たちは生かされている。

その想いは時代を超えて受け継がれていく。

先人たちが守りたかったのは国の形ではなく、生まれ育った地で生きる家族、友人、子どもたちであったことは間違いない。

 

僅かでも先人たちの想いを受け止め、僕も子どもたちの未来を守っていけるよう、日々を生きていきたいと想う。

 

 

 

 

 

 

 

手のやさしさ

馬のトレーニングを行う際に、私が一番最初に行うのは「手」のやさしさを伝えることです。

「手」は人だけに与えられたもの。

猿やチンパンジーも手を使いますが、基本4足歩行で、前足が手のような役割をすると言った方が近いかもしれません。

4足歩行の動物にとって、「手」の存在は未知の世界。

この「手」をどのように使っていくかで、その後の馬の成長に大きく影響を与えます。

(ペピーズにはこんなかわいい子馬もおります!)

仔馬を例にとると、仔馬は生まれてしばらくはお母さん馬とのコミュニケーションの中で、様々なことを学びます。

お母さん馬にいたずらをすると、軽くお尻をかまれたり、軽く蹴られたりもします。

そうやっているうちに仔馬は群れの中で生きる基本を学んでいきます。

馬同士のコミュニケーションの学びの中に、もちろん「手」の存在などありません。

「手」は仔馬にとって未知の存在外の何物でもありません。

ただ、「手」は最初の、人と子馬とのコンタクトをとるには最高の武器となります。

「手」のすごさはとにかく繊細で巧みに動くこと。

ほんの数ミリの変化さえ指先から感じ取ることができるくらい、「手」は繊細です。

仔馬に「手」の存在を最初に認識させるには、「手」で、正確には指先で仔馬の体を掻いてあげます。

一番最初は撫でるのではなく、掻くのです。ここが重要です。

「手」を使えない動物にとって。掻いてもらうという行為は最高に気持ちの良いことです。

動物はかゆい時には木などに体をこすりつけたり、砂場でゴロゴロしたりして掻いています。

ただかゆい所をピンポイントで巧みに掻けるのは「手」だけです。

こうして掻くという行為を繰り返しているうちに、仔馬は自然と「手」に興味を持ち、人間を見ると「手」の巧みさに期待して寄って来てくれるようになります。

寄って来てくれるようになったら、初めてやさしくなでるようにして、「手」のやさしさと巧みさを伝えます。

こううして、「手」から興味を持ってもらうことで、仔馬は人への関心が強くなります。

人への興味のある馬は人が好きだということ。

人が好きであるなら、あとのトレーニングは非常にスムーズに進んでいきます。

そして、トレーニング中に暴れたりすることもほとんどありません。

「手」をこのように巧みでやさしく使うことで、仔馬はどんどん人を好きになっていきます。

ただ、「手」は叩くという行為にも使うことができます。

この叩くという行為が4足歩行の動物にとっては、力加減関係なく、非常に恐ろしいものになります。

「手」の存在を知らない動物からすればこんな恐怖は他にはありません。

もちろんお母さんから「手」を使って叩かれたことなどないので、必要以上に怖がります。

特に上からかざすように叩く行為。

動物には御法度です。犬でも猫でも同様です。

馬のトレーニングでやむおえず「手」を使って叱る場合は、上からかざして叩くのではなく、下から払うようにして叱ります。

それはお母さんが下から軽く蹴るような動きを真似します。

叱るという行為は時には必要ですが、感情的にならずに「手」の使い方には細心の注意を払います。

とにかく「手」は巧みでやさしく、心地の良いものだと初期の段階から刷り込んでおきます。

しかし、残念ながら「手」は便利なため、つい強引に使ったり、叩くという行為にも使ってしまうケースがあります。

仔馬の頃からトレーニングを受けている馬なら、生い立ちからすべてを把握しているので、トレーニングは非常にスムーズです。

よくわからいないのは競走転用馬などの途中から乗馬のトレーニングを受ける馬です。

ただ、診断は簡単です。「手」を上に上げてみて、びっくりしたり、過剰に驚く子は残念ながら叩くという行為を学んでしまった子。

逆に顔を寄せてくる子は「手」のやさしさを知っている子です。

どんなに馬にはやさしくトレーニングしています!と言っても、この方法でおおよそどんなトレーニングを受けてきたかは判断できます。

そして「手」から伝わる情報で、馬の性格や心理状態もおおよそ判断できます。

それぐらい「手」というのは人間にとっても馬にとっても大切な存在です。

「手」はすべての生き物の中で人間だけが与えれれたもの。

この「手」の使い方一つで人を信頼し、やさしい馬に成長するのか。人に疑念を持ち、不安定な馬になるのか。

このどちらかが決まると言っても過言ではありません。

これぐらい人の「手」というのは、馬のトレーニングにおいて重要な役割を担っています。

これは子育てにも生かせることで、「手」は子どもをやさしく包み込むように日頃から使っていれば、子どもは親の「手」からたくさんの愛情を感じ取ってくれます。

ただ、「手」を叩いたり振りかざして使っていれば、子どもは親の「手」から不安と恐怖を感じ、愛情を感じ取ることは一切ないでしょう。

 

愛の鞭。

そんなものは存在しません。

「手」はきっと神様が人間だけに与えてくれた、やさしさと愛情を伝えるためのものなんだと思います。

 

・・・ちなみに私には2人の息子がおりますが、しょっちゅうパンチをしあったり、お尻を叩きあったりしています。

いつも一言多くてすみません。

 

 

 

 

 

 

 

私が子どもにこだわる理由

私ナッキーは「こども専門 乗馬クラブ ペピーズ ホース フィールド」を6年前に立ち上げました。

伊賀市の高尾という、忍者発祥の地でもある里山に当クラブはあります。

現在、40名の小中学生を中心とした子どもたちが在籍しています。

おそらく、「こども専門 乗馬クラブ」なんて謳っているのは、全国的にかなり珍しい思います。

ではなぜ子どもにこだわるのか?

私は高校時代に馬術部に在籍しており、卒業後は5年間、北海道の新冠(にいかっぷ)町にある競走馬育成牧場に勤めていました。

競走馬の世界はとにかくレースで早く走ることを目的として、馬を鍛えます。

やはり勝負の世界ですから、馬たちは厳しい調教に耐えなくてはいけません。

自分の携わった馬が活躍してくれるのはとても誇りですし、やりがいもあります。

ただその反面、厳しい現実もたくさん突きつけられます。

そんな中、これが本当にやりたかったことなのか?と自問自答の日々が続きました。

そして、正直、馬に乗ることに恐怖を感じ、楽しさを感じることはほとんどありませんでした。

自問自答が続く中、ネットで子どもと馬の関係性に書いた記事を目にしました。

そこで笑顔一杯で馬に乗る子どもの写真が目に飛び込んできました。

自分のやりたかったことはこういうことか?

私は5年間お世話になった競走馬の育成の仕事をやめ、熊本の阿蘇にある乗馬クラブへと移りました。

でも本当のところは競走馬に乗ることへの恐怖から逃げたかっただけかもしれません。

ただ、阿蘇の乗馬クラブでの光景は私がそれまで築いてきた馬へのイメージを一新することとなりました。

子どもが一人で馬を引き、自分でお世話をしたり、乗る準備をしていた。

馬の周りで子どもたちが大騒ぎしても馬は動じず、子どもたちを見守っている。

馬=危険な生き物

と深く植え付けられていた私のイメージは音を立てて壊れて行きました。

そして馬と子どもの関わりの中で、馬が子どもを笑顔にし、子どもたちの成長に大きな力を与えてくれることを目の当たりにしました。

私はそんな子どもたちと過ごす時間の中で、初めて馬の仕事が楽しいと思えました。

そして一つの想いが胸の中で大きくなっていきました。

子どもたちのための乗馬クラブを作りたい。

その想いは私を突き動かし、今の乗馬クラブを立ち上げることができました。・・・・がその経緯はまた改めてお話ししますね。

馬との関わりが子どもたちの心身の成長に良い影響を与えることを身を持って感じてきた。

そしてなにより、子どもたちの成長を身近に感じることができるのが楽しくて仕方ない。

私がこども専門の乗馬クラブを作るのに十分な理由でした。

身体的特徴で人間に近い動物はチンパンジーやオランウータンですが、心が近い動物は馬とイルカと言われています。

馬は人類の歴史の中で切っても切れない存在です。

それは単に乗り物としての役割ではなく、心で繋がれる数少ない動物であったからだと私は思います。

私の役目は馬の持つ本来のやさしさを最大限に引き出し、子どもと馬の橋渡しをするコーディネーターです。

そして、馬と共に子どもたちを幸せにすることが私の使命です。

これからも伊賀の山奥から、子どもたちのしあわせな日々を届けられるよう、力を尽くしていきます。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

馬と鞭

動物虐待。

その象徴とされるのが、競馬での鞭の使用。

競馬そのものが虐待だという話もありますが、それは置いといて。

昨今では、1レースに鞭の使用は何発まで等、鞭の使用に対しての制限をかける流れが強まっています。

確かに鞭は使い方によっては、馬を痛めつけることもできますし、感情のままに使用すれば虐待につながる道具ではあります。

ただそれは鞭の使用回数の問題ではなく、鞭の使い方の問題だと思います。

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鞭の大きな役割の一つに、馬にもっと推進力を与えるために、お尻を叩く使い方があります。

勝つか負けるかをかけているのですから、この時ばかりは強く使わざるを得ません。

ただ、お尻を叩けば叩くほど速く走るわけではありません。ここは使い方を考えなくてはいけないと思います。

しかし、鞭には他にも役割があります。

① 馬を真っ直ぐに走らせるため

馬は本来、まっすぐに走りません。必ずどちらかに寄って走るのが自然です。

それを真っ直ぐ走らせるために鞭を使います。

右に寄ってくるようであれば、左から振って見せたり、馬の肩を軽くたたいたりして修正します。

 

② 時には叱る

馬は生き物ですから、時には人の言うことに反抗することがあります。

人を落とそうとしたり、動くことを拒否したり。

そんな時は反抗に対して、いけないことだと伝えるために使います。

 

そして、競馬のレース中には人馬の命を救うためにも使用します。

馬はとても賢い動物なので、ゴールが近づくと「まあ、こんなもんでいいだろう。」と自分で走ることをやめてしまう子もいます。

それが、トップスピードで走っている最後の直線で起こったら、他の馬を巻き込んで大きな事故につながりかねません。

そんな場面で、鞭の使用制限なんてかけていたら、人馬共に命の危険にさらされてしまいます。

また、一生懸命走るのを拒否して、前に行くのをやめてしまう馬もいます。

競走馬は勝てなければ生き残れません。一生懸命走らなければ、一番にはなれません。

つまり、鞭は使い方次第で痛めつける道具にもなれば、人馬の命を救う道具にもなるのです。

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鞭を使う=馬を痛めつける

決してそうではなく、それは使う人間次第であって、鞭そのものを悪にして制限をかけるのは正直、違和感しかありません。

包丁は人を喜ばせる料理の道具にもなれば、人の命を奪うこともできる。

SNSでも人を勇気づけることもあれば、傷つけることだってできる。

言葉だって一緒。

だから、何かを悪に仕立てて、それを排除する流れになりがちですが、しっかりと本質を見落とさないようにしなければいけません。

無知が時に、人を傷つけてしまうことを肝に銘じます。(無知と鞭・・・。うまいこと言ってんな。)

 

 

 

 

 

 

クラウドファンディングへの挑戦

WILL BE FINE

言葉の意味は「大丈夫。」「なんとかなる。」「良くなる。」等の意味があるそうです。

言葉の響きや意味が好きになり、この言葉を一頭の馬の名前にしました。

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この子の名前はWILL BE FINE。まだ3才の新馬です。

このWILL BE FINE(通称:ウィル)は今年の3月にクラウドファンディングに挑戦し、達成したことで購入した馬です。

なぜクラウドファンディングを利用し、このウィルを迎え入れることにしたのか?

もちろん、金銭面での支援もありますが、なにより子どもと馬の関わりの素晴らしさを伝えたい。

そんな想いが大きくありました。

また、子どもに関わる馬にはそれ相応のトレーニングが必要です。

かみつく馬、人に敵意のある馬、蹴る馬、子どもを振り落す馬、暴走する馬。

論外です。

子どもにとって安心で安全な馬とは

人を信用している馬、人に配慮できる馬、子どもの合図を受け入れる馬。

まだまだ大切な要素はたくさんありますが、これらをクリアしない限り子どもたちを乗せることは不可能です。

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ただ、どういったプロセスを経て、子どもたちを乗せられる馬に成長するのか?

そこを一つの物語として、ウィルの成長過程をいろんな方に見てほしいと思いました。

そして、子どもの乗馬には子どもが乗るために専門的なトレーニングを受けた馬が必須だという強い信念が私にはあります。

他を批判するつもりはありませんが、日本の乗馬に使用される馬の多くは競走馬を引退したサラブレットです。

私は5年間競走馬の育成に携わってきましたが、サラブレットは小さいころから速く走ることを主として、競争の中で切磋琢磨したレース専用の馬です。

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大きなお金がかかった勝負の世界にいた馬たちは闘争心に磨きをかけ、生きるか死ぬかをかけた戦いをしてきた馬です。

そんな闘争心のかたまりの馬、育成騎乗者、調教助手、ジョッキーとプロしか乗ってこなかった馬に子ども向きの要素など一つもありません。

真逆です。

もう一度言いますが、私は競馬を批判しているわけではありません。むしろ大好きです。

ただ、用途が違いすぎると言っているのです。

だから、これから子どもたちの学びの選択肢として、乗馬を普及させるのであれば、競走馬からの転用馬ではなく、子どもが乗るために専門的にトレーニングされた馬が絶対に必要なのです。

そして、そのトレーニングの過程がどのようなものなのかを多くの方に知っていただきたい、また、子ども乗馬専門にトレーニングされたやさしい馬が与える子どもたちの学びをぜひ知っていただきたいと想っています。

そして、3月に挑戦したクラウドファンディングでは目標金額を大きく上回る、あたたかいご支援をいただき、無事に達成することができました。

クラウドファンディングに挑戦して良かったと思うことは、

周りの皆さんが、自分が思っている以上に応援してくれていたこと。

そして、私を同志や友と呼んでくれる人がたくさんいたこと。

たくさんの方々が見守ってくださっていることに本当に気づかされました。

多くの方の想いと子どもたちの未来を託して、これから成長するウィルの物語をぜひ見守ってください。

dav

…と言いつつ、夏休みの乗馬キャンプに全精力をつぎ込んだため、ウィルのトレーニングの様子をアップできていませんでした。

これから、アップして行きますのでよろしくお願いします。